日記
あるサッカー選手の引退
今日初めて泣いた。
生まれて初めてフットボーラー(サッカー選手)の引退試合を見て泣いてしまった。
世界中の過去、現役、全選手の中で、自分が1番大好きなフットボーラー・小野伸二が今日現役を引退した。
選手生命が危ぶまれるケガに幾度も耐え、
またそれを乗り越えて我々フットボールを愛する者達に夢を見せてくれた偉大な選手だった。
彼が繰り出すトラップ、シュート、パスには、歓喜のアイデアと感嘆する美しい技術があった。
「体は小さくてもボールを持ったら敵も味方も見入ってしまうほどだった」と、
小野伸二を中学1年の時に初めて見たセルジオ越後氏は語っている。
ボールを操る彼を見て、胸が踊らなかった人はいないだろう。
今日の引退試合、
先発出場した小野伸二が途中交代を告げられピッチを去る際
所属する札幌の選手達がハグを求めるだけではなく
なんと対戦相手の小野の古巣である、浦和の選手全てが小野の元に集まり握手を求め、ハグをし、その偉大なる選手への別れを惜しんでいた。
それは選手達がどれだけ小野に魅入られていたか、
また魅入ってしまうことが、どれほどの喜びだったかが伝わってくる光景だった。
それに対して注意をしないレフリー、ナイス。
サッカーファン、涙。
全てのフットボールに関わる人に愛され、尊敬された選手・小野伸二。
本当にお疲れ様でした。
ありがとう😭
感謝
GW中は、5/2火と5/6土のみ営業致しました。
ありがたいことに、両日共に多くのお客様にご来店頂きました。
ありがとうございます。
お客様にお会いすると、ここ数年の目まぐるしい変化を、踏ん張り、堪らえ、頑張ってきて本当に良かったなぁと思えます。
そんな気持ちになれるのも、時短営業等まだまだ必死に堪らえている時から、足を運んで下さった全てのお客様のおかげです。
本当にありがとうございます。
皆さまが、それぞれに、様々に、色々なことに、懸命に向き合っている中でも
ピアノラウンジピーターでのひとときを楽しんで頂けるよう、もっと精進して参りたいと思います。
日本初戦を前に、名実況を振り返る
ワールドカップ・日本代表初戦前には、名実況を振り返りたくなります。
悲願のW杯出場を果たした日本代表初戦の中継第一声。
初出場迄の道程を思うと、この言葉に胸が熱くなり、こみ上げて来るものがあります。
過去に書いた記事ですが、W杯になると必ず掲載しています。
今大会もよろしければ是非。
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日本が初出場を果たした1998年ワールドカップ・フランス大会。
6月14日、日本の初戦はアルゼンチン。
TV中継が始まり、
その第一声
『声は届いています。』
『はるか東の方から、何百万、何千万という思いが、大きな塊になって聞こえて来るようです。
遠かった道のりでした。本当に遠かった道のりでした。
日本の、世界の舞台に初めて登場するその相手はアルゼンチン。世界が注目するカードです。』
日本代表がW杯のピッチ上に立つ喜びと共に、この実況に涙した人は多いはず。
1985年 メキシコ大会予選
『東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近付いて来てるような気がします。』
初出場への確信が滲む言葉も虚しく『メキシコの青い空』を逃した日本。
ロスタイムで失点、W杯初出場を逃し、後に『ドーハの悲劇』としてサッカーの怖さを思い知らされた1993年アメリカ大会予選。
今度こそと期待のかかるフランス大会アジア最終予選の
『ジョホールバルの歓喜』へと繋がる延長戦の開始。
円陣を組んで、それぞれのポジションへ向かう選手達を受け
『ピッチ上、今、円陣を組んで散って行った選手達は「彼ら」ではありません。これは私達そのものなのです。』
この言葉によって、サッカー日本代表が、単なるスポーツ選手ではなく、
世界各国同様、母国の代表だと強く認識されたのではないでしょうか。
こんな愛情溢れる実況をした元NHKの山本浩アナウンサーは
絶叫だけじゃない、応援する者の気持ちに寄り添うような言葉を紡ぎ出す神実況でした。
4年に1度の祭典・ワールドカップ・カタール大会、日本代表初戦vsドイツは、日本時間11月23日午後10時キックオフです。
頑張れ!ニッポン!
今日は十三夜
今日は旧暦9月13日にあたります。
日本では中秋の名月の約1ヶ月後、旧暦9月13日~14日の夜にお月見をする『十三夜(じゅうさんや)』があります。
満月の『十五夜』は中国伝来の風習ですが、
満月2日前の月を愛でる『十三夜』は日本独自の風習です。
十五夜は月の神様に豊作を祈り、十三夜は収穫に感謝する為『栗名月』や『豆名月』とも呼ばれています。
月を肴に、夜を肴に、ピーターへ是非。